メルモのこと

近くに住む友人夫妻の家のフラット、メルモが星になったのは10月のこと。
自宅のそばに、この界隈で犬をさせる人たちの定番コースがある。いまだに毎朝家を出る度、あるいは帰宅する度、その道を通る彼女たちに会わないかと探している。
近所を歩くときも車で走るときも、途中のどこかでばったり出会わないかと思っている。約10年続いた習慣はそうそう簡単に消えるものではなく、その度にため息をつく。
自分が飼っていたわけでも、頻繁に一緒に過ごしていたわけでもないのにこの有様に、共に暮らす家族を失うことの大きさを思い知った。

たまに友人夫妻宅にお邪魔する時がゆっくり触れ合う時だったが、玄関で大歓迎してくれたあとは気が向いた時だけ寄ってくる。すりすりしてきたり、いすに座っている私の足をしっぽで何度もはたいたり、組んで上になって宙に浮いている方の足にETのように前脚を乗っけてきたり。なかなか気まぐれな女王さまだが、目を見つめて話しかけると少なくとも同じように人の言葉をしゃべれない赤ん坊よりは意思が通じてるように思わせてくれる。
犬を飼った経験がないせいでどう扱っていいのかいまひとつよくわかっておらず、ぎこちなかったが、それでも大好きだったかわいいメルモ。

予知能力ほど大それたものがあるわけではないが、誰かに偶然会う時にはかなり高確率でその少し前にその人のことを思い出す。
メルモが宇宙の大きな流れに帰ってしまい、ちょうど月命日にあたる11月の休日、葉を落とし始めた桜並木の西用賀通りを走る車の中で「月命日だなぁ…」と思い出していたその時、ふと目をやった歩道をフラットを真ん中にして歩くカップルがいた。
サイズからして違う明らかに別の犬を目にして、改めてもう会えないことを実感する寂しさと、違うとわかっているのに不思議とまた会えたような気がする嬉しさで涙が出てきた。
同時に家族だった友人夫妻がこの何倍もの気持ちを抱えていることを想像すると、胸が痛くなった。

常々、亡くなった人は体がなくなってその人を想う人のそれぞれの心の中に入って一緒に生きている、会いたい時にはそばにいてくれると考えるようにしているが、信号で止まった車の前を渡っていくフラットをぼんやり見送りながら、「同じ犬の姿してなきゃ気づいてくれないのかしら」と言われた気がした。
あながち見当違いの考え方ではなかったのかもしれない。「あぁ、いるんだな」と思うと嬉しくなった。

さらに先週金曜日の旧山手通り、仕事中の助手席で突然「四十九日って今週?来週?」と頭に浮かび、指折り数えていると歩道に2頭のフラットに引っ張られて走る女性を見た。
「わかった。見えなくてもいることは間違いないってわかったから。もう大丈夫」と彼らを追い越した。

そして彼女はとてつもない "魔法" を使った。
私はためらわずにまたいつもの習慣を繰り返せばいい。
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by s_fiorenzo | 2009-12-13 22:40 | ECCETERA


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